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2007年10月02日

『ゆとり教育から個性浪費社会へ』 岩木秀夫


ゆとり教育から個性消費ミ会へ.jpg


文部科学大臣をころころ代えてしまった小泉元首相から、教育問題にやたら熱心な安倍前首相、そして、現在、福田首相の誕生となりましたね。いったいどういう教育観をお持ちなのでしょうか。

昨日、所信表明演説をしたそうですが…、今日にでも原稿をチェックしてみましょう。


いずれにしろ、新聞報道などを追っていますと、ここのところずっと 「ゆとり教育」 と決別する方向性は確かですね。ただし教育予算が増えるのは不明ですね。

さて、本書は、易しい内容とは申し上げられませんが、教育問題に関心のある方には、大変示唆に富む一冊だと思います。

文部科学省が打ち出す指導要領をはじめとするさまざまな施策、それらが現実の社会の流れの中でどう生まれてきたか、本当にこれからの社会は今の教育政策でよいのかなどを検討しています。 

正直、“個性浪費” という抽象的な言葉に魅力を感じ、気軽に手にとってみたものの、ポストモダンなどの現代思想というか、社会学とのかかわりで教育や世間が論じられており、意表をつかれました。ところどころ整理するために読み返さなければなりませんでしたが、こういう論点は私には非常に新鮮に感じられ、おもしろかったです。 


個性浪費社会という言葉を説明するのはとても難しいのですが、社会のマクドナルド化(アメリカの社会学者の造語)が進み、皆が感情を抑えて、マニュアル通りの対応をするようになり、顧客の側の対応までも計算され尽くしています。


そういう社会では、人をかつてのように地位や所得で判断するのではなく、表層的な個性に囚われて判断するようになるわけです。つまり、本来豊かな人間性を表すはずだった 『個性』 が今や、競争に残るための道具と化し、アイドルの低年齢化などはその顕著な例である。 そんな感じでしょうか。

そういう次々と新しい個性を生み出しては、消えていく社会のことを個性浪費社会といっているのだと思います。その変貌し続ける社会と教育行政を論じています。

目次を紹介しておきます。


第1章 世紀末学力論争の構図(日本教育史の流れからみた「ゆとり改革」;これまでの能力主義を回復すべきなのか―近代能力主義派の議論 ほか)

第2章
 近代能力主義(モダン・メリットクラシー)の歴史としくみ(学校と社会の接続のしかた;初めから全国標準化された日本の学校系統 ほか)

第3章
 バブルと「新たなこころの発見」―ゆとり(脱近代カリキュラム)改革の経過(臨教審(一九八四〜八七年)の逆ベクトル改革
教育的価値のコペルニクス的転換 ほか)

第4章
 文部行政の宮廷革命―ゆとり改革と脱近代能力主義の政治力学(すべてのはじまりの臨教審(一九八四〜八七年)
バブル教育政策を支えたポストモダニズム官僚・学者たち ほか)

第5章
 脱近代能力主義(ポストモダン・メリットクラシー)の近未来(資本主義のフロンティア―地理的外延から「こころ」へ;国際能力主義(グローバル・メリットクラシー)の成長 ほか) 


 “ゆとり教育” なるものに私も反対ですし、多くの論者がさまざまな観点から分析を加えて、教育行政の転換を求めてきました。拙ブログでもいくつもそういう書籍を取り上げました。

本書の筆者は、さらにもう一歩引いた視点から、なぜみなが反対するような文部行政がまかり通ってしまうのかというところまで掘り下げています。

私は教育学部の出身ではありませんから、教育史的な流れ、社会学的分析がよけいに新鮮で、何回か読み返しました。読みやすい本ではないので、生徒などに薦めるかどうかはさておき、個人としてはさらに岩木氏の著作を読んでみたいと思いました。



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ゆとり教育から個性浪費社会へ
            岩木 秀夫
            筑摩書房
            
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posted by VIVA at 13:53| Comment(0) | 日記
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